更新しました。2016/09/21

 

 

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パインズマインズの歴史

 

 

2003年夏、STAMP BUNN¥の大ファンだったスパが、同バンドのアエラ、イサムと

ロックンロールトリオ、ポジティブズを結成。

FMのラジオ出演やBSのテレビ出演をはじめ精力的に活動するも、唯一のフルアルバム

「ゾンビ・バ・ゾンビ」(THHK-772)を全国流通させた直後の2007年秋に解散。

 

2007年冬、スパとイサム(この頃いさむに改名)はジャンクションピークの肝臓(けろん)、

One Play Orchestraの飯塚俊希(TOSH)、public-a!の小龍てっこと、5人編成のバンド

SOUTH BOUND CLOVERS(SBC)を結成。

ラテンをはじめエスニックやトラッドを噛み砕いたポップミュージックを発表していく。

 

当時、Mellow Symphony、ウイリアム、カラトユカリなど主にシンガーソングライターの

サポートや、ジャムバンド“Sa#bon”、自身のバンド“ぱのらまんま”、ソロ名義のmammo

で活動していたmammoが2009年春、SBCに加入。翌2010年の春まで6人編成で活動する。

 

時を同じくして、元ポジティブズのスパ、アエラ、いさむと、ウイリアムの柳沢耕平が

mammoのバックバンドを務める“地球儀”を結成。

また、スパ、いさむは、HAPPY JACKSの山路貴澄と“千鳥足”を結成。

 

 

それぞれのスタイルで活動を並行したが、2010年春、すべての音楽活動を集約すべく、

パインズマインズ(初期メンバー:スパ/アエラ/いさむ/mammo)を結成。

同年5月、吉祥寺音楽祭の野外ステージにて初ライブを行なう。

 

その後、Bassのアエラが脱退し、後任としてthattaのチカチャンが一時期加入するも即脱退。

 

2010年秋より、ベースレスバンドとして、鍵盤のmammoが左手でベースラインをカバーする

現在のトリオ編成での活動がスタートする。

以後、コーラスパートの強化や各人のスキルアップにより、バンドアンサンブルが安定する。

 

2011年秋、長野県松本市アルプス公園に於けるりんご音楽祭2011に出演。

2012年夏、群馬県川場スキー場に於けるFIREJAM2012に出演。

 

 

2014年6月11日、初の全国流通盤「ドア」(RBFR-0001)を発売。

それに伴い開催された吉祥寺シルバーエレファントでの初の単独公演は超満員で内容も充実。

夏には「ドア」の好評に伴い、過去二作の流通も開始。その発表イベントとして、

タワーレコード吉祥寺店にてインストアライブを行なう。

これらの話題性にも後押しされて、秋口には早くも二度目の単独公演を開催。

下北沢モナレコードで行なわれたこのイベントは昼間の時間帯で、キッズシートや授乳室の

用意、分煙制の導入で普段のライブには来づらい層のお客様で賑わった。

 

2016年1月8日より、半年間の限定でマンスリーフリーワンマンライブを敢行。

毎月8日、阿佐ヶ谷LIVE BAR MUSWELLにて「はっぴいえいと」というタイトルで開催した

同プロジェクトは大盛況の内に終了した。

 

 

 (文=烏賊ウボン)